歩く

2025年10月19日(日)飯能まちなか散策ツアー(後半)

織協の中に入らせていただきました。後から区切られてつくられた10畳間。奥の金庫は外から入れられたそうです。

理事長室です。天井が幾何学的なデザインで、照明もおもしろいですね。

今は使われていませんが、理事長室の向かいに階段があります。

2Fの天井は少しアーチ型に湾曲しています。これを盛り上げ天井というそうで、まっすぐだと広い空間だと目の錯覚でかえって曲がっているようにみえるため、あえて湾曲させているそうです。ちなみに右端と左端の天井の高さは15cmほど違うそうです。杉板のピーリング貼です。

2Fの壁は筋交いが入っているのですが、1Fは筋交いのない、抜き構造だそうです。地震の際に揺れを逃がすのは抜き構造、対して筋交いは揺れにより強い圧がかかったりすると、それが蓄積して急に決壊することがあるとのこと。協同組合は解散し、不動産会社が20年壊さない約束で買い取り、活用しようとしましたが、その後コロナになり手つかずになってしまいました。現在、その存続に関しては予断を許さない状況になっています。

一行は土肥歯科医院へと。四角い箱型に横長の窓、板張りの部分は杉下見張りで、板を横に張っていき、下の板に上の板を重ねていく張り方です。南京下見板張りや鎧張りとも言われるそうです。

建物自体も素晴らしいのですが、この樹木の覆われ方が萌えます(笑)「天空の城ラピュタ」のようにこのまま空に浮かびあがりそうです。

続いては双木邸。西側の庭園部分にはかつて木造2階建て洋館の郵便庁舎がありました。2Fの破風には棟木や桁の木口を隠す装飾として、懸魚(げぎょ)が取り付けられています。庭木と建物のバランスも良く、角の桜はこの通りの名物となっています。

ここの十字路は交通事故をなくすためにあえて、少し道をずらしているそうです。

酒田屋は現在は人気の居酒屋です。元は米穀商としてこの蔵の西側にあった大正期の町家で商売をしていましたが、昭和55年に解体されました。その後、蔵を改装して、米穀商を続けていました。その時に開口部をつくったそうです。

大野家の離れです。元は反物問屋で、関西方面など遠方からの上客の宿泊場所として奥蔵を解体して増築したそうです。裏口の木戸は冠木門と言い、2本の柱の上部に冠木を貫き渡し、上に屋根をかけています。木材の経年変化による色合いが非常に美しいですね。

「大野家」を横から眺めると、店蔵・住居・中蔵・離れが連なっていて、非常に間口が狭く、奥行きが長い構造になっていることが分かります。これは昔間口の広さに対して税金がかかっていたため、その税金対策だったそうです。当時、大通りで縄市が開かれていた名残として広い前庭空間をもつ店蔵です。

この蔵から突き出ている釘は「折れ釘」と言われ、太い鉄製で荷重に耐えられるようにできていて、補修時の足場にしたり、桶をかけたり、暴風をしのぐための板をかけたり様々な役目があるそうです。土壁は非常にぶ厚いため、つくられた段階で既に埋め込まれているそうです。

今は売地になっていますが、ここには「住田屋」という食堂があり、昔ながらのラーメンとチャーハンが人気でした。昭和の香りが漂う非常に趣のある建物でしたが、完全になくなってしまいました。勝手ですが建物だけでも何とか残してほしかったですね…

小槻家は高麗横丁と大通りの交差点角、かつての縄市の入口辺りに位置します。江戸時代には炭問屋、その後呉服反物の商い、現在は電気業を営んでいます。最初に訪れた銀座商店街の「出口」に対して、ここが「入口」に当たります。

さて、ゴールとなる「畑屋」に到着しました。畑屋横丁に面して割烹の玄関があります。

平山蘆江は天覧山下のレストラン・Femyのある所にかつて東雲亭があった所ですが、蘆江はその敷地内に住んでいました。平山蘆江は都新聞社の記者で、飯能の花柳界を取材する内、畑屋との関係を深めていったようです。小説だけではなく、都々逸、随筆、怪談、書や絵画など多方面で才能を発揮した人物で、飯能に関わった偉人の一人として知っておかなくてはならない存在です。この看板は蘆江が書いたものです。

格子戸を開けると正面に幅広の階段があります。遊郭建築を思わせる粋な造りです。

年代を感じるクラシックな時計。13時~24時までよく見ると赤文字で入っています。

重厚な歴史を感じる渡り廊下。賑やかな声と足音が聞こえてきそうです。

2Fに上がるとホールがあり、左右の座敷、さらに3Fの座敷へと続く階段があります。

座敷の窓からそっと外を覗くと、なんと空中庭園が。外からは分からなかったですが、こういう造りになっていたんですね。

ここにも蘆江の書が飾られていました。

こういう場所で開く宴はさぞ格別でしょうね。

この後、3Fにも上がらせていただいたのですが、そちらの写真は掲載を控えます。飯能の最もディープな場所かも知れません。かつて花街であったこの場所で、改めてこの畑屋が孕んでいる物語の奥深さを感じました。

その後、大通りの入口から入り直してお食事をいただきました。皆さん、お疲れさまでした。

その後、川越いものおしるこをいただきました。お芋が食べ応えがあり、なんとも上品な甘さで、疲れをあっという間に癒してくれました。

畑屋さん、永遠に!

(終わり)